リッキー・ユージーン・ラッシェル(Rickey Eugene Reuschel , 1949年5月16日 - )は、アメリカの野球選手(投手)。メジャーリーグで活躍した。右投右打。
アメリカ合衆国イリノイ州クインシー出身。身長6フィート4インチ(約190cm)、体重235ポンド(約107kg)の巨漢投手で、ニックネームは「Big Daddy(ビッグ・ダディ)」。
1970年代前半から1980年代後半にわたって先発投手として活躍。
経歴
シカゴ・カブスに入団し、1972年6月19日にメジャー初登板。その年21試合に登板(うち先発が18試合)して10勝をあげ、1980年まで9年連続で2ケタ勝利をあげる。
ベストイヤーは1977年で、この年20勝をあげる。チームも首位争いを繰り広げた。
1981年シーズン途中でニューヨーク・ヤンキースに移籍。50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮されたこの年は8勝に終わったが、自身初のワールドシリーズに出場。
ロサンゼルス・ドジャースとのワールドシリーズでは、第4戦に先発(勝敗はつかず、チームは敗戦)。シリーズ自体もドジャースに敗れ、ワールドチャンピオンはならなかった。
故障のために1982年は1シーズン登板がなく、1983年に古巣カブスでカムバックを果たす。
1984年には5勝。チームは地区優勝を果たすが、プレイオフのロースターから外される。また、チームもナ・リーグチャンピオンシップシリーズでサンディエゴ・パドレスに敗れ、1945年以来39年ぶりのリーグ優勝は果たせなかった。その年限りで、フリーエージェント(FA)でピッツバーグ・パイレーツに移籍。
1985年には、最下位のパイレーツで5年ぶりの2ケタ勝利となる14勝(8敗)をあげて復活。ゴールドグラブ賞とカムバック賞とハッチ賞を受賞した。
1986年は9勝16敗に終わるが、1987年途中に地区優勝争いを繰り広げるサンフランシスコ・ジャイアンツに2選手との交換トレードで移籍。チームを1971年以来の地区優勝に導く。また、自身2度目のゴールドグラブ賞を受賞した。
1988年には19勝をあげ、40歳となった1989年にも17勝をあげる。前半戦好調で、オールスターではナ・リーグの先発投手を務めるが、ボー・ジャクソン(カンザスシティ・ロイヤルズ)に特大(約135m)の初回先頭打者本塁打を打たれた。 チームはこの年、チャンピオンシップシリーズで古巣カブスを破り、チームとしては1962年以来、自身2度目のワールドシリーズ出場を果たす。第2戦に先発するが敗戦投手。チームもオークランド・アスレチックスに4連敗を喫した。その後は不振で、1991年4月に戦力外通告され、そのまま現役を引退した。
2歳年上の兄ポール・ラッシェルも1975年 - 1979年の間にメジャーで通算198試合に登板し、16勝16敗13セーブ、防御率4.51を記録。最初の三年間はカブスに兄弟で在籍していた。
体格の割には走力があり、登板しない試合で代走として起用されたこともある。打撃力も投手の割に良く、1974年~77年の間は毎年70打数以上で2割以上をマークした。通算でも1,115打数187安打(打率.168)、本塁打4、打点79を記録している。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- ゴールドグラブ賞 2回(1985年、1987年)
- カムバック賞 1回(1985年)
- ハッチ賞 1回(1985年)
- オールスター選出 3回(1977年、1987年、1989年)
脚注
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube



