董 寛信(とう かんしん)は、紀元前1世紀の中国、前漢の時代の人物である。紀元前2年から紀元前1年に若くして駙馬都尉をつとめ、失脚して流刑になった。
解説
董寛信は董恭の子で、董賢の弟にあたる。元寿元年(紀元前2年)12月、董賢が駙馬都尉から大司馬に昇進したとき、兄の後をうけて駙馬都尉になった。
当時22歳の董賢は、哀帝から寵愛されていた。董恭は董寛信の妻に中郎将の蕭咸の娘を望んだが、蕭咸は董賢への寵愛が格別なものだと畏れ、自らを卑下して断った。
哀帝が翌元寿2年(紀元前1年)6月に病死すると、董賢はただちに失脚して自殺した。7月、董恭と董寛信は合浦郡に流刑になった。
脚注
参考文献
- 班固著、『漢書』
- 小竹武夫訳『漢書』1から8、筑摩書房、ちくま学芸文庫、1998年。
- 大庭脩監修、漢書百官公卿表研究会『『漢書』百官公卿表訳注』、朋友書店、2014年。
外部リンク
- 中央研究院・歴史語言研究所「漢籍電子文献資料庫」。



